絵画、映画、写真集を見る

    はじめに

     写真の歴史だけで約200年。
     もう、表現は出尽くしているようにも思えます。
     しかし、未だ新しく感じる表現があるのは何故かと考えると組み合わせだったり、違うジャンルから持ってきたりとしているからだと思っています。

     この源泉が枯れる事はあるのかは分かりませんが、繋げて新しいモノを産む力は必要に感じています。 

    なぜ見るのか

     新しいモノを生む前に、どんな表現が好きなのかはとても大切です。自分が嫌いな表現は続かないと思っています。
     楽しく表現していくには、嫌なことは避けていきたいと思っています。しかし、好き嫌いも見ないと分からないと思います。また、一瞬好き、または嫌いと思ってもじっくり見ると反対だったりもします。

     好き嫌いはじっくり見ないと分からないものだと思っています。好きなモノ、好きな人、好きな会社もそうだったりしたことが多い経験があります。

     見る力は意識しないと手に入れることができないです。同じものを見ていても、気が付かない人もいます。気が付く側にいたいので、見ることはとても重要だと思っています。

    楽しむ

     私は自由をとても重要に思っています。
     会社で上司に言われたとして意味のない強制は異常に頭にくるタイプです。
     なので、表現に対しても自由に楽しむことができなければならないと思っています。「これをやれ」と言われるものはやりたくはないです。きちんと説明してもらいそれに対して納得できなければ実行はできないのです。

     私は楽しい事から鑑賞を始めました。

    意味を考える

     最初、絵画を見るとき「あー綺麗だな」ぐらいにしか思っていませんでした。
     しかし、作者はそれだけを仕掛けている訳ではない絵画が多いようです。綺麗にかけて当たり前。見ている人に対して問いかけを行なっているのが名画のようです。

     なので、テレビで解説する番組が成り立ったりすると思っています。
     絵画の勉強をすると、その面白さがよく分かりました。フォーカルポイントに目線を導くリーディングライン。数学のような、物質の配置(構図)。教えてもらわなければ分からない事ばかりでしたが、それを生徒に教えている教授でさえも1枚の絵に対して1時間以上かけて見て意味を考えるそうです。

     グループ写真展に行くと、写真家が作品の前に立って写真の説明をしてくれたりします。その説明から私にも言葉が生まれ、そしてその言葉からまた、写真家が言葉を重ねてくる。1つの作品からコミュニケーションが生まれた瞬間です。
     その写真の意味を考えなければコミュニケーションは発生しないと思います。これからも考えていこうと思います。

    勉強

     作者が作品の意味を教えてくれるのはとてもありがたいことですが、そういうことはなかなかありません。
     私の勉強の目的は作品の前で何を表しているか考える力です。そこから生まれた自分の言葉と作者の言葉は同じでも違っても良いのです。何か言葉が出てくることのために勉強しています。

     本当は授業とか受けることができれば良いのですが、もう老人なので独学メインでやっていかなければならないと思っています。
     コミュニケーションのために勉強を続けたいと思っています。

    終わりに

     鑑賞しなければ、自分の表現もできない。繋げて新しいものを作り、そこから私と鑑賞者とコミュニケーションが生まれ、私と鑑賞者が次の階層に進むことができるようにしたいです。
     その為には自分のレベルを上げていなかければならないと思っています。
     どうやら写真とは年齢に依存するところが大きいようですが、そんなことはどうでも良いと思っています。隠遁生活をしていたソールライターのように老人になって世の中に出てくる人もいるので、老害となるジャンルではない写真の力を信じてこれからも、撮影を続けていこうと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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